太宰府の観世音寺をみると、太宰府は京都並の大都市だったんだと思う。
太宰府の観世音寺
大宰府天満宮から徒歩で約20分(車で約5分)の場所に、観世音寺があります。
今でこそ寂しい感じがしますが、この観世音寺を見ると、当時この一帯は文化の中心地として、九州一の大都会だったんだろうなと思わせてくれます。
太宰府の観世音寺
太宰府天満宮から車で来るにはこの道しかありません。
この道沿いに観世音寺があるので迷うことはないと思います。
観世音寺の石碑です。
観世音寺の駐車場
無料の駐車場がありますが、利用時間が決まっていて、8:30から17:30までが利用できます。
観世音寺の参道の並木道
駐車場から本堂までの参道です。
両側にはクスノキが茂っております。
参道を進みます
南大門跡
今は本堂と金剛堂、梵鐘などが残っていますが、観世音寺は、かつては3町(330平米)の大きな寺域を占めていたようです。
ここに大きな南門があったんですね。
この南大門の礎石は、その名残のようです。
参道の左に、こちらは謎の家が見えます。
立ち入り禁止みたいなので近寄ることが出来ません。
石碑が立っているので、何かの歌碑でしょうかね・・・
宝蔵(宝物殿)
参道の右には、宝蔵(宝物殿)が見えます。
創建時に金堂や講堂に置かれていた仏像などは、ほとんど失われているのですが、この宝物殿には、平安時代から鎌倉時代にかけての仏像をはじめ、重要文化財の品々(仏像、狛犬、雅楽面)などが納められているようです。
宝蔵(宝物殿)には、別途訪問したいと思います。
さらに参道を進みます。
観世音寺 講堂
観世音寺の講堂が見えてきました。
観世音寺の金堂
左には金堂が見えます。
金堂の中には入れないのですが、中を覗いてみると、仏像が一体ありました。
観世音寺 講堂に近づいてみた
観世音寺講堂です。
この観世音寺は、百済支援のために立ち寄った斉明天皇が朝倉橘広庭宮で急逝したあと、その子の天智天皇が母の菩提を弔うためにこの地に観世音寺の建立を発願したと云われています。
寺は約80年かけて完成。金堂、五重塔などが揃った大寺院であっったそうですが、その後の火災などにより当時の寺院は焼失、現存する金堂、講堂は、江戸時代に黒田藩主が再建したものだそうです。
観世音寺の講堂は、幅7間(約30m)、奥行き4間(15.4m)で、創建当時から変わっていないようです。
観世音寺講堂の中には入ることができませんが、中を覗くことはできます。
観世音寺講堂の手前の菩提樹と碾磑
観世音寺講堂の手前の菩提樹と石臼が並べてあります。
この大きな碾磑(てんがい 天平石臼)は、創建時のものだといわれています。
観世音寺 五重塔
講堂の右脇には、かつて存在した五重塔の心礎が残されています。
五重塔の心柱が立っていたその基礎となる石です。
人と比べると、その大きさがわかりますね。
観世音寺 梵鐘
また、五重塔の横には国宝の梵鐘があります。
この梵鐘は京都妙心寺の梵鐘と兄弟と云われているようで、その古さと優秀さにおいて日本一と云われています。
鐘楼は金網で囲われているので梵鐘に触れることは出来ません。
金網越しに見てみました。
観世音寺 苔庭
観世音寺周辺は、木立と日差しのバランスが良いのか、苔が見事で、とても美しいです。
太宰府天満宮からも近いので、太宰府に来られた際には、ぜひお立寄り下さい。
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