大宰府政庁跡の礎石の大きさから当時の大都市を想像する
大宰府天満宮から徒歩で約30分(車で約7分)の場所に、大宰府政庁跡があります。
その昔、九州一円を管轄とする、地方組織としては最大の行政機関である「大宰府」があった所です。
今は、整備された広い公園みたいになっていますが、昭和40年頃の写真を見ててみると、その頃までただの田んぼだったところなのです。
大宰府政庁跡
道路に面している南門前からの眺めです。
ホント整地されて、広い空間だけが残っています。
今から、ほんの40年前までは、一面田んぼだった所です。
発掘調査によれば、7世紀後半に掘立柱建物が建てられ、8世紀初頭に礎石を用いた朝堂院形式の建物が建てられたそうです。
その後の藤原の純友の乱で焼失したものの、10世紀後半に再建されたそうです。
大宰府政庁は、中央に重層風に作られ、屋根は入り母屋または寄棟造であったと云われています。
南門、中門をくぐると中央の広場に出ます。
周囲は回廊が作られ、中門と正殿を結んでいて、その広間の中に多くの役所が配置されていたようです。
大宰府政庁跡の南門
昭和43年の調査によると、南門跡に見える礎石は奈良時代(政庁第Ⅱ期)のものではなく、平安時代後期(政庁第Ⅲ期)のものであるらしいです。
砂利の中に、大きな礎石を見ることが出来ます。
南門跡に進んでみます。
大宰府政庁の中門跡
南門を抜けて中門に進みます。ここでも礎石の大きさが目立ちます。
当時は荘厳な建物であったことが忍ばれます。
大宰府政庁の大広間跡、役所跡
中門を超えると大広間に出ます。
こちらは、右側の役所跡。
広間の両側には役所が建てられていて、当時のお役人たちが御役目を果たしていた所です。
礎石の大きさから、建物の大きさが想像されますね
こちらは、左側の役所跡
左右、シンメトリーな配置です。
大宰府政庁の正殿跡
中央の広間を正殿前に進みます。
この正殿は、大宰府の長官である「師(そち)」が政務を行った処。
いろいろな儀式なども行われていたようです。
残された礎石から、政庁第Ⅲ期の建物は、横28.5m、奥行き13mの大きさだったようです。
礎石の大きさ。
1m以上もある大きな石です。
正殿跡殻、南門側を見てみた。
ちょうど真南を見る形になります。
大宰府政庁跡の後殿跡
大宰府政庁の後殿跡
正殿や役所をグルリと囲むように、築地塀が南門と後殿を結んでいたようです。
後殿の後ろ側は、田んぼ
後殿側から政庁内を見てみた。
大宰府政庁跡の駐車場
駐車場は、道沿いにあるのでわかりやすいです。
無料駐車場ですが、管理されているため、利用できる時間が決まっています。
朝8:30から17:30までだそうです。時間に余裕を持って来てくださいね。
実際に建物が残っていたら、とても荘厳であったであろうことが推測されます。
今の大宰府政庁跡は、ただの広い空間だけが広がっていますが、ここが古代九州の中心部であったことに想像を膨らませてみると、当時の人々の様子や荘厳であったであろう建物が目に浮かんできます。
大宰府に来たら、ぜひ大宰府政庁跡にも来てくださいね。
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