大伴旅人邸跡と言われている坂本八幡宮をご紹介します。

「令和」の典拠となった万葉集の序文が、この太宰府の大伴旅人が自宅の庭で開いた「梅花の宴」で詠まれた歌であったということで、いま太宰府は「令和」ブームに沸いております。

日ごろは、チャイニーズやコリアンが90%以上を占めるようになった太宰府天満宮にも、ジャパニーズの人たちが少しは多く来られているようです。

坂本八幡宮は、大伴旅人邸跡

坂本八幡宮

太宰府にある坂本八幡宮は、太宰府の要職にあった大伴旅人が邸宅としていた場所(近所?)とされています。

「令和」の典拠となった万葉集の序文で読まれている歌が、この大伴旅人の邸宅の庭で開催された「梅花の宴」で詠まれたものとされていて、新元号「令和」が発表された後には、太宰府展示館とともに、多くの観光客が訪れているようです。

坂本八幡宮は普通の神社で、大伴旅人の邸宅であったとは思えないんですけどね。
たぶん、この近所だったのではないかと推測します。

坂本八幡宮縁起を読んでみても、中世は天台宗の寺院で戦国時代の廃仏毀釈の後、村の鎮守として寺の境内にあった社が再興されたもののようです。

なので、それ以前に、大伴旅人の邸宅であったのでしょうね。

坂本八幡宮縁起

この坂本八幡宮は土地神・産土神として崇拝されている神社で 応神天皇を御祭神としています。
「圓満山四王寺縁起」によれば「嵯峨天皇弘仁二年(811) 辛卯二月勅宣にて四王院に釈迦仁の像を造立し有智山寺の沙門鳳詮法師及行願具足の僧十一輩を移し開眼供養を遂げられ、水田五十 町を寄付し給ふ。鳳詮法師は坂本に住して善正寺と号す。又坂本 坊と呼り。」とされ、平安時代にはこの坂本の地に四王寺の座主坊としての善正寺が成立していたとされています。
坂本にあったこの寺は中世は天台宗の寺院で、本山の比叡山に習い九州の天台系寺院には境内に八幡宮を祭る形が多く見られます。
当社の勧請時期は「福岡県神社誌」(1944年刊)の記述によれば「天文・弘治の頃」(1532-1557)の戦国時代とされていますが、おそらくこの頃に寺院が廃れ土地を経営する現在の坂本区の原型となる村落ができ、その村の鎮守として寺の境内にあった社が再興されたものと考えられます。
境内入り口南側にある「がらんさま」と呼ばれる立石は天台寺院の故地によく見かけられ、寺の中心地や結界となる境に置かれる事があるようです。
この場所が大字の境で「辻」という小字であることも、当社の鎮守としての性格を現しています。
「古代には大宰府や九州を守説する寺であった四王寺が形を変えながら、現在では坂本区の鎮守として生き続けています。

坂本八幡宮の場所

大宰府政庁跡の裏手になります。
「梅花の宴」を博多人形で再現した展示物があると評判の「太宰府展示館(無料)」もすぐ近くにあるので、どこかの駐車場に止めて、周辺散策されるのが良いと思います。

坂本八幡宮までのアクセス

おススメは、車で来られて、大宰府政庁跡の駐車場に止めて、周辺を散策されることです。
その後は太宰府天満宮に移動されてもいいと思います。

公共交通機関であれば、西鉄大牟田線の「都府楼前」(とふろうまえ)で降りて、徒歩16分(約1.2km)になります。一度、太宰府まで行って、太宰府から徒歩で来る(徒歩30分(約2.4km)事もできます。

太宰府天満宮を観光のメインにして、坂本八幡宮はついでに訪問するのか、または坂本八幡宮だけを観光のメインするかで訪問ルートは違うと思います。

基本的には、太宰府天満宮を観光した後に、最近有名になった「令和」の元となった坂本八幡宮に参拝するのが良いと思いますが・・・

ただ、太宰府天満宮観光で疲れた足では、坂本八幡宮まで徒歩で30分歩くのは、年寄りにはかなり厳しいかもです。

坂本八幡宮の周辺駐車場

坂本八幡宮のすぐ前には100台ほど駐車できる駐車場が準備されていますし、近くの大宰府政庁跡の駐車場にも停めることができます。
できれば、大宰府政庁跡の駐車場にも停めて、散策ついでに周辺の観光スポットを見て回るのが良いと思います。

ご覧のように道が狭いので、混雑時には混乱が予想されますので、そういう意味でも、手前の大宰府政庁跡の駐車場に止められるのが良いと思います。