太宰府展示館の大伴旅人が開いた「梅花の宴」で詠まれた万葉集の序文
新元号「令和」が発表されましたね。
「令和」は、初めて日本の古典から引用されたということで、とても意味深いもことだなと個人的には思います。
アサヒコムよりキャプチャー
新しい時代の始まりであることはもちろんですが、それの意味するところは「独立」なのかなと思っています。
さて、そんな個人の妄想はどうでもいいのですが・・・・
なんと、その「令和」の典拠となった万葉集の序文。
これがなんと、ここ太宰府の大伴旅人が自宅の庭で開いた「梅花の宴」で詠まれた一説であったということです。
何ともうれしい事ではないですか
太宰府というと、有名な人は藤原道真公ですね。
太宰府にご縁のあって、私が知っているのこの藤原道真公くらいしかおられなかったのですが、今回「令和」で調べてみたら、歴史などで習った偉い人も、大伴旅人や山上憶良などもこの太宰府におられていてびっくりです。
梅花の宴とは
梅花の宴というのは、太宰府を統括するトップとして派遣されてきた大伴旅人が、梅の花が咲くころ、730年(天平2年)正月13日に自宅の庭で開いた宴のことのようですね。
宴には、歌人の山上憶良など32人が集まり、梅の花をめでて歌を詠んだとか。
そして、そこで詠われたといわれている「令和」の典拠となった万葉集の一節がこれ
「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」
何とも優雅なことではありますね。
8世紀ころ奈良時代の服装というのが、本当にこんなに派手であったのか、疑問ではあるのですが・・・・
もちろん平服はもっと質素であって、貴族階級の式典ではこのような服装であったのでしょう。
隋書倭国伝の記述では・・・
「婦人束髪於後、亦衣裙襦裳、皆有、竹為梳」、これと天寿国繍帳の図より推定すると、ほぼ男装と同じであるが、袴にかえて、ひだのある裙[褶]と裳を着け、女装には冠はなく垂髪を束ねている。赤色の有襴の袍とし、縁は萠黄の錦、長紐は白絹、下襲は白、褶裳は黄、裳は濃黄とした。」
とあるので、もしかすると、もっとビビッドな色であったのかもしれません。
そして、その大伴旅人らが邸宅で開いたときの当時の様子を再現した模型が飾られているのが、大宰府展示館です。
太宰府展示館
「太宰府展示館」には博多人形で梅花の宴を再現した展示物があるということで、新元号発表後に、多くの観光客が押し寄せているようです。
これまで太宰府展示館は、平日20人程度の訪問であったのが、発表後の2日には2000人だったとか。
なんと一気に100倍になっています。その後は6日間で1万人を超えたとか・・・・
スゴイ人気スポットなっています。
7世紀後半、現在の太宰府市に置かれていた太宰府政庁の遺構などを保存公開している太宰府展示館には、令和の由来となった「梅花の宴」の様子が博多人形で再現されています。
太宰府展示館は、太宰府天満宮から少し離れた場所にあるのですが、太宰府天満宮から徒歩でも行けるところなので、太宰府観光ついでにぜひ来ていただきたいところであります。
太宰府展示館の場所
太宰府展示館
住所 | 福岡県太宰府市観世音寺四丁目6番1号 |
電話番号 | 092-922-7811 |
開館時間 | 9:00〜16:30 |
休館日 | 月曜日(ただし祝日の場合はその翌日)、 年末年始(12月28日〜1月4日) |
入館料 | 無料 |
太宰府展示館のアクセス
・福岡空港から車で30分
・太宰府インターから車で5分
・JR二日市駅から車で10分
・西鉄都府楼前駅から徒歩で15分
・太宰府市コミュニティーバス まほろば号「大宰府政庁跡」バス停下車
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